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あるだけ
毎日帰りも遅くて、時間がなくても、時間は限られていて、たまに景色とかがとてもきれいに見えると、その一瞬が戻ってこないものなんだなということがぼんやりと伝わってきたりした。書き途中のことばばかりたまってた。怒りをエネルギーでもいいんだけど、どうせならもっと違うものでも、作ってみたい。
: - : - : - : posted by f--ca
吹き返す、借景
暑さに息を吹き返す。体の奥まで熱が伝わり、しばらくして汗が浮かんでくる。暑いけれど細胞ひとつひとつにまでひかりが染み渡ったような気がする。新曲はみんなでコーラスがある。昔はコーラスがあることも苦手だったけど、そういったものは大概なくなってしまった。ぶちのめすとかそういうもんじゃなくて、歌えることが楽しい。予想以上の声が出たりする。前を見ながら、眼前に再現してみる。それはトレースとは異なっており、毎度毎度少し味が変わる。言葉にすることと腕組みをして向き合ってみたんだけど、押し黙ることしか出来なかった。まだ言葉を書くことに慣れない。曲から書くことが出来る様になったのは収穫だったな。たいしたことも言えないし、言葉千切って花びらでも作れたら。
: - : - : - : posted by f--ca
生まれて リハビリ
スタジオでは以前狂った喉の調子がようやく戻った。歌えることが嬉しかった。ありがてえ。喉が開いてたから最終的に開き具合に注目していた。かなり時間掛かったが新曲が一曲できた。固めた歌詞も、メロも崩したし、構成も減らし減らして最後に残ったものでできている曲。山の上で生活していて出来た。またいきたいもんだ。言葉が沢山出てくる、新鮮な言葉に喜ぶ。眠い。
: - : - : - : posted by f--ca
リハビリ
ひさしくことばを書いていなかった。沈黙してたわけじゃないんだけどね、色々な人と話をしたし、歌ってもいた。だけどリハビリしようと思います。原動力は怒りや悲しみではなく、はじめてみます。舞い戻って触れてみる。ことばにすることで分つことのないように。
: - : - : - : posted by f--ca
みつけたもの
1010日にバンドとして活動をしてきたなかで初めての企画を行います。
そして音源を発売する。もう既に一か月を切っており、
その企画に参加して頂ける方と打ち合わせをしながら限られた時間でどれだけ
納得ができるものを作成できるのか。
 
前進のバンド、f--caでは出した音源僅か一枚。
今回レコーディングの感覚すらもないし、
まして企画をやるなんて全然考えていなかった。
 
でもどうせやるなら、いろいろな疑問や疑念を少しでもほどくことのできるものを。
そんなところからはじまりました。ある方とのやり取りを中心に、今の自分と以前の自分のことを考えました。
企画を臨んでということでうつらうつら書いてみようと思います。

 
曲のストックはたくさんありました。
だとすれば新しいものだけ収録すれば良いのかもしれないけれど、
今回の音源は一番古い曲も再びレコーディングしました。
歌詞も書き換えたし、歌い方やメロディも変えた。
それでも変わらない、変えられない、部分がありました。
明らかに変わった部分も。音に現れる部分、現れない部分。
 
人間だって生きていったら考え方も変わるし、
好きな食べ物だって変わるでしょう。
同じ曲をそのまま歌い続けることの大切さも分かるけれど、
詩人が原稿に赤鉛筆で校正に校正を重ねていくような、そんな心持ちです。
 
大体の曲が信じることや繋がりについてです。
あとは愛やらその類いのものについて。
今はそのようなものは無くなったと思っていますが、
自分を悪く言ったり、嘘を白状したり、白状したように見せかけたり
ひとことでいうと自分や他人への悪口ですかね、これは。
自分を騙したり、そう信じ込ませたり、
読んだ誰かに、こんな風に思ってほしい、
もしくはこうげきのようなものもあったと思います。
 
作品に書いた信じることや愛は、僕の間違いの歴史でもあります。
昔と同じ文章を今は書きたいと思いません。
同じテーマにしても、もっともっと書きたい言葉はほかにあると思うのです。
それでもその時に感じたことであり、
少なくともその時は間違いがないと信じていたもので
今の自分からみたらあまり好きではない自分も
大切な一部なのかなとも思っています。
 
痛みに安心することも、悲しみにばかりひかりをあてることも
やめにしていきたいんです。一見すると美しく見える痛みよりも、
もっともっときれいなものがあると、たくさんの人からおそわりました。
そしてきちんと愛を感じたいです。感じたいように、感じたいものだけを
そう捉えるのではなく、僕がみたいあなたを作るのではなくて、
あなたに、触れたいのです。
 
ecfeeという曲では、全て私の中のあなたに宛てて作り上げた曲で、
今そのまま歌うわけにはいきませんでした。結局その曲を
その相手に聞かせることはなかったのだけれど、
それで良かったと思っています。そこから月日が流れ、
自分の中で完全に終結したものとして今もう一度、やり直しました。
初めて歌うみたいにはできなかったかもしれないけれど、
前向きには歌えたような気がしています。
これから出会うきれいなものに。少しばかりの不安と希望をもって。
 
「あなたとおしゃべりすると、いつもしゃべればしゃべるほど孤独になりました。
わたしがいないところで、わたしと話していたからです。

じぶんがかなしいことは、そんなに大事なことですか。
あいてのかなしみは、おまけみたいなものですか。」
 
僕はこの言葉に打ちのめされました。いや、今も打ちのめされています。
ずっとずっと、考えてきました。そんなことはないと思っていました。
ただ、そう感じさせてしまったことは事実です。
これからどうすれば良いのだろうと途方に暮れ、ことばにすることへの恐怖を覚えました。
 
誰かの一挙手一投足を、自分の中で勝手に意味を付加していました。
わからないものが怖かったです。今よりもずっとずっと。
怖くて怖くて仕方がありませんでした。
どこかにいってしまいそうで。
風に飛ばされてどこにもいかないように、意味をつけました。
それをあいと呼んでみたりもしました。
そうして手懐け、コントロールできるものにしておきたかったんだと思います。
わからないものをなくしたい。壊したくない。
自分が目を離した隙に壊れてしまうかもしれないから、
転がって何処かにいかないように、言葉を楔のように使ったこともありました。
相手の顔色をその人の苦しさを推測するために見るのではなく、自分のために見ていることがおおいにありました。
相手が傷つかないようにということも、自分で勝手に解釈していました。
書いていてほとほと嫌になります。
怖さからわからないものを片っ端から自分で決めつけ、
そう信じることで自分を騙し続けるように。
傷つけたのは、自分である以前に、相手のひとです。
大事な思いを放棄して、傷ついたと都合良く完結して。
 
理解できない、わからないからと、盲目にならないで。
理解しなくても、感じることができるし、手に入るもの。
もっと感じて欲しい。自分自身も、ほかの誰かも。
怖いから大きな声で話していると、そのしずかな息遣いが聞こえなくなります。
 
「相手のことを決めるのは相手のことばを待ってからにしてください。
相手のことばを待てないことを理由に勝手に傷つくのはやめにしてください。」
 
そう言われて、何を言えるだろう。今まで見ていたあらゆるものは
自分がこしらえたものであり、そのこしらえたものが自分自身を表していると
感じました。今までの自分にビビっている、不安がっているようでした。
怯えているのは自分の影でした。大きく見える影。
こわさやくるしさにばかり目がいってしまうけれど、
よくよく目をこらすと、あら不思議、僕は過去に怯えているだけです。
過去の出来事、感情を追体験するかのように、怯え、絡めとられてしまっているのでした。
 
過去は過去であり、分かっていること。
だから確認しやすいです。答えが既にあるので。
僕はそこに甘んじて、繋がりを確認しやすいから、
何度も結び直していたのだと思います。
それは今を生きることを放棄しているのと大差ないです。
 
自分しか見えていないから不安になる。
自分の想像の中にしかないかなしいおはなしに怯えている。
いつも上手くいかないなあと嘆いているのは
過去だけをみているからなんじゃあないかなあ。
 
わからないことをわからないままにしておくこと
不安にかられて相手をわくにはめないこと
白にも黒にもいかずに、何万通りと無限にある灰色にとどまること
芽吹きを待つように、あなたが、あなたのこころが話し出すのを待っていたいのです。
相手が話し出すのを待っても、芽吹きを待っても、
それからでも遅くはないはずだと、ようやく思えてきています。
 
ことばによって意味を交換することに頭がいきすぎていた気もします。
言われて考えて、そう思うことが出来ました。
言葉を大切にしているけれど、言葉にならないことにも
大切なことはいっぱあって、むしろそっちのが多かったりするかもしれません。
例えばきれいだなあと思った空の色は、何色って言えなかったり、
心にずしーんときた音楽があって、なんて言っていいのか分からないけれど、
誰かの頭をくしゃくしゃとやりたくなったり。
ぴったりくることばはなかなかないものなのだと思います。
 
かつて僕が考えていたあいはとても狭い窮屈なものでした。(と、ようやく言えるようになりました)
今はもう少し自由になってきていると、そうなりたいので、
そう信じています。いろいろなものに愛はあって、
走り寄るその速度にも、おはようの挨拶にも愛は込められる。
語らなくても、沈黙にすら。
なんだか居心地の悪い沈黙にも、じっと目を凝らせば
その奥でひそひそ話をしている動物たちがいることをきちんと感じたいのです。
そこにも愛があるんだとたくさんの人に教わりました。

人だけじゃなく、ほかのものからも、空や町の喧騒や、そこにある木々からも
そう感じることができるように、そう感じようと少しでも思ってもらえれば、
わからなくても、誰かが諦めないでいることが出来る一端を担えれば、僕は幸せです。
 
ことばのまえに、体があります。
ことばにするまえに、できることがあるのではないか。
ほほをふにふに、うぶげをさわさわ、かみをくしゃくしゃと。
 
あいは赤ちゃんのころから受け取っているし、
きっと赤ちゃんは何も考えていなくてもそれを感じている。
でもなんでだろう、わからなくなってくるよね。
分かったほうが対策を取りやすくなる。だから理解しやすい言語にする。
意味がないよりある方が対峙しやすいから、勝手な意味をつける。
沈黙の暖かな呼吸を感じ取れずに、おしゃべりになります。
すると聞こえてくるのは自分のことばだけで、他者は見えなくなります。
ただ一緒にいればいいのに、それができなくなってしまう。
不安もなく、感じ取れていたものを、取り戻したい。
そんなものをさがしています。自分の外の世界に。
 
きずつかないように、筋肉をこわばらせて
きずつかないように、まぶたをきつくとじて
うしなわれたもの
 
苦しい人を探しまわって、それでヒーローになりたがるのは
本当のヒーローじゃないよねえ。
 
かたくならずに、やわらかく
かどをたてずに、まあるく
もういちど
 
そんなことしてまで続けているやさしさごっこは
今すぐにやめて外に出るべきだと思う。
そんな世界は続くとしても意味がないと思うんだ。

しろくろつけなくてもいいんでないか。
明確に分けられない、断言できないものこそ
うつくしさがそこにかくれているような。

水色、焼けた雲
混ざり合っているきれいないろ
なにいろか、わからないけれど、
わからなくても、いいいろは、いいいろだ。


あなたはどうして過去に生きるの。
どうして何度も過去を掘り返すの。
過去の悲しみと現在を無理矢理すり合わせて、
同一化しようとするの。
あなたの今は過去のためにあるの。
今を生きてよ。
 
過去があなたを全て決める訳ではないよ。
そんなばかな話あってたまるものか。
現在は過去に決定されているのかい。
過去のかなしみと現在のかなしみは、並列化できるのですか。
勝手に傷つく必要はどこにもありません。
おわったことを、掘り返す必要は、ないのです。
かなしいときに過去に帰る必要も、ないのです。
許されることすら自分のなかで勝手に完結しようとしている。
そんな場所にいるから相手のことも、世界のことも見えないのです。
じぶんのことはじぶんではなく、他者にきいてください。
あなたの抱える苦しみや悲しみは
埋めなくていいし、わからなくていいのです。
そんなものに力を使うくらいなら
好きな人に声をかけて、散歩でもいってきてください。
ネット上に呟く必要もないし、黙って歩幅を合わせてみてください。
ふあん、くるしみ、かなしみに時間を費やさないでください。
自己愛に塗れた窮屈な自我の中にいるのではなく、世界に出てください。
もっときれいなものを見ること、触れること、感じることに
時間を使ってください。時間は有限です。
そしてじぶんより大切なもの、
あるいはじぶんの存在をかけてまもりたいものに、夢中になってください。
 
ことばもおんがくも、悲しむことに使いたくはないよね。
ぼくらはきっと、かなしむことにあきあきしているはずなんだ。
だれもが、あなたの過去ではなく、あなたの今を見ています。
過去のあなたではなく、今のあなたがみたいのです。
 
愛を確かに感じることが出来たとき、それらとダンスしていると言った人がいます。
僕もそれをいつかダンスと呼べるようになりたいのです。

これを読んでいるあなたも、わたしも、心から。
それが願いであり、そのために歌っていきたいと、
今思っていることを、ここに記しておきます。
 
この間違いの歴史でもある作品を反面教師にしながら、
聞いた人々が今を生きていけることを、祈っています。
 
山越裕之 ool
 
 
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