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みつけたもの
1010日にバンドとして活動をしてきたなかで初めての企画を行います。
そして音源を発売する。もう既に一か月を切っており、
その企画に参加して頂ける方と打ち合わせをしながら限られた時間でどれだけ
納得ができるものを作成できるのか。
 
前進のバンド、f--caでは出した音源僅か一枚。
今回レコーディングの感覚すらもないし、
まして企画をやるなんて全然考えていなかった。
 
でもどうせやるなら、いろいろな疑問や疑念を少しでもほどくことのできるものを。
そんなところからはじまりました。ある方とのやり取りを中心に、今の自分と以前の自分のことを考えました。
企画を臨んでということでうつらうつら書いてみようと思います。

 
曲のストックはたくさんありました。
だとすれば新しいものだけ収録すれば良いのかもしれないけれど、
今回の音源は一番古い曲も再びレコーディングしました。
歌詞も書き換えたし、歌い方やメロディも変えた。
それでも変わらない、変えられない、部分がありました。
明らかに変わった部分も。音に現れる部分、現れない部分。
 
人間だって生きていったら考え方も変わるし、
好きな食べ物だって変わるでしょう。
同じ曲をそのまま歌い続けることの大切さも分かるけれど、
詩人が原稿に赤鉛筆で校正に校正を重ねていくような、そんな心持ちです。
 
大体の曲が信じることや繋がりについてです。
あとは愛やらその類いのものについて。
今はそのようなものは無くなったと思っていますが、
自分を悪く言ったり、嘘を白状したり、白状したように見せかけたり
ひとことでいうと自分や他人への悪口ですかね、これは。
自分を騙したり、そう信じ込ませたり、
読んだ誰かに、こんな風に思ってほしい、
もしくはこうげきのようなものもあったと思います。
 
作品に書いた信じることや愛は、僕の間違いの歴史でもあります。
昔と同じ文章を今は書きたいと思いません。
同じテーマにしても、もっともっと書きたい言葉はほかにあると思うのです。
それでもその時に感じたことであり、
少なくともその時は間違いがないと信じていたもので
今の自分からみたらあまり好きではない自分も
大切な一部なのかなとも思っています。
 
痛みに安心することも、悲しみにばかりひかりをあてることも
やめにしていきたいんです。一見すると美しく見える痛みよりも、
もっともっときれいなものがあると、たくさんの人からおそわりました。
そしてきちんと愛を感じたいです。感じたいように、感じたいものだけを
そう捉えるのではなく、僕がみたいあなたを作るのではなくて、
あなたに、触れたいのです。
 
ecfeeという曲では、全て私の中のあなたに宛てて作り上げた曲で、
今そのまま歌うわけにはいきませんでした。結局その曲を
その相手に聞かせることはなかったのだけれど、
それで良かったと思っています。そこから月日が流れ、
自分の中で完全に終結したものとして今もう一度、やり直しました。
初めて歌うみたいにはできなかったかもしれないけれど、
前向きには歌えたような気がしています。
これから出会うきれいなものに。少しばかりの不安と希望をもって。
 
「あなたとおしゃべりすると、いつもしゃべればしゃべるほど孤独になりました。
わたしがいないところで、わたしと話していたからです。

じぶんがかなしいことは、そんなに大事なことですか。
あいてのかなしみは、おまけみたいなものですか。」
 
僕はこの言葉に打ちのめされました。いや、今も打ちのめされています。
ずっとずっと、考えてきました。そんなことはないと思っていました。
ただ、そう感じさせてしまったことは事実です。
これからどうすれば良いのだろうと途方に暮れ、ことばにすることへの恐怖を覚えました。
 
誰かの一挙手一投足を、自分の中で勝手に意味を付加していました。
わからないものが怖かったです。今よりもずっとずっと。
怖くて怖くて仕方がありませんでした。
どこかにいってしまいそうで。
風に飛ばされてどこにもいかないように、意味をつけました。
それをあいと呼んでみたりもしました。
そうして手懐け、コントロールできるものにしておきたかったんだと思います。
わからないものをなくしたい。壊したくない。
自分が目を離した隙に壊れてしまうかもしれないから、
転がって何処かにいかないように、言葉を楔のように使ったこともありました。
相手の顔色をその人の苦しさを推測するために見るのではなく、自分のために見ていることがおおいにありました。
相手が傷つかないようにということも、自分で勝手に解釈していました。
書いていてほとほと嫌になります。
怖さからわからないものを片っ端から自分で決めつけ、
そう信じることで自分を騙し続けるように。
傷つけたのは、自分である以前に、相手のひとです。
大事な思いを放棄して、傷ついたと都合良く完結して。
 
理解できない、わからないからと、盲目にならないで。
理解しなくても、感じることができるし、手に入るもの。
もっと感じて欲しい。自分自身も、ほかの誰かも。
怖いから大きな声で話していると、そのしずかな息遣いが聞こえなくなります。
 
「相手のことを決めるのは相手のことばを待ってからにしてください。
相手のことばを待てないことを理由に勝手に傷つくのはやめにしてください。」
 
そう言われて、何を言えるだろう。今まで見ていたあらゆるものは
自分がこしらえたものであり、そのこしらえたものが自分自身を表していると
感じました。今までの自分にビビっている、不安がっているようでした。
怯えているのは自分の影でした。大きく見える影。
こわさやくるしさにばかり目がいってしまうけれど、
よくよく目をこらすと、あら不思議、僕は過去に怯えているだけです。
過去の出来事、感情を追体験するかのように、怯え、絡めとられてしまっているのでした。
 
過去は過去であり、分かっていること。
だから確認しやすいです。答えが既にあるので。
僕はそこに甘んじて、繋がりを確認しやすいから、
何度も結び直していたのだと思います。
それは今を生きることを放棄しているのと大差ないです。
 
自分しか見えていないから不安になる。
自分の想像の中にしかないかなしいおはなしに怯えている。
いつも上手くいかないなあと嘆いているのは
過去だけをみているからなんじゃあないかなあ。
 
わからないことをわからないままにしておくこと
不安にかられて相手をわくにはめないこと
白にも黒にもいかずに、何万通りと無限にある灰色にとどまること
芽吹きを待つように、あなたが、あなたのこころが話し出すのを待っていたいのです。
相手が話し出すのを待っても、芽吹きを待っても、
それからでも遅くはないはずだと、ようやく思えてきています。
 
ことばによって意味を交換することに頭がいきすぎていた気もします。
言われて考えて、そう思うことが出来ました。
言葉を大切にしているけれど、言葉にならないことにも
大切なことはいっぱあって、むしろそっちのが多かったりするかもしれません。
例えばきれいだなあと思った空の色は、何色って言えなかったり、
心にずしーんときた音楽があって、なんて言っていいのか分からないけれど、
誰かの頭をくしゃくしゃとやりたくなったり。
ぴったりくることばはなかなかないものなのだと思います。
 
かつて僕が考えていたあいはとても狭い窮屈なものでした。(と、ようやく言えるようになりました)
今はもう少し自由になってきていると、そうなりたいので、
そう信じています。いろいろなものに愛はあって、
走り寄るその速度にも、おはようの挨拶にも愛は込められる。
語らなくても、沈黙にすら。
なんだか居心地の悪い沈黙にも、じっと目を凝らせば
その奥でひそひそ話をしている動物たちがいることをきちんと感じたいのです。
そこにも愛があるんだとたくさんの人に教わりました。

人だけじゃなく、ほかのものからも、空や町の喧騒や、そこにある木々からも
そう感じることができるように、そう感じようと少しでも思ってもらえれば、
わからなくても、誰かが諦めないでいることが出来る一端を担えれば、僕は幸せです。
 
ことばのまえに、体があります。
ことばにするまえに、できることがあるのではないか。
ほほをふにふに、うぶげをさわさわ、かみをくしゃくしゃと。
 
あいは赤ちゃんのころから受け取っているし、
きっと赤ちゃんは何も考えていなくてもそれを感じている。
でもなんでだろう、わからなくなってくるよね。
分かったほうが対策を取りやすくなる。だから理解しやすい言語にする。
意味がないよりある方が対峙しやすいから、勝手な意味をつける。
沈黙の暖かな呼吸を感じ取れずに、おしゃべりになります。
すると聞こえてくるのは自分のことばだけで、他者は見えなくなります。
ただ一緒にいればいいのに、それができなくなってしまう。
不安もなく、感じ取れていたものを、取り戻したい。
そんなものをさがしています。自分の外の世界に。
 
きずつかないように、筋肉をこわばらせて
きずつかないように、まぶたをきつくとじて
うしなわれたもの
 
苦しい人を探しまわって、それでヒーローになりたがるのは
本当のヒーローじゃないよねえ。
 
かたくならずに、やわらかく
かどをたてずに、まあるく
もういちど
 
そんなことしてまで続けているやさしさごっこは
今すぐにやめて外に出るべきだと思う。
そんな世界は続くとしても意味がないと思うんだ。

しろくろつけなくてもいいんでないか。
明確に分けられない、断言できないものこそ
うつくしさがそこにかくれているような。

水色、焼けた雲
混ざり合っているきれいないろ
なにいろか、わからないけれど、
わからなくても、いいいろは、いいいろだ。


あなたはどうして過去に生きるの。
どうして何度も過去を掘り返すの。
過去の悲しみと現在を無理矢理すり合わせて、
同一化しようとするの。
あなたの今は過去のためにあるの。
今を生きてよ。
 
過去があなたを全て決める訳ではないよ。
そんなばかな話あってたまるものか。
現在は過去に決定されているのかい。
過去のかなしみと現在のかなしみは、並列化できるのですか。
勝手に傷つく必要はどこにもありません。
おわったことを、掘り返す必要は、ないのです。
かなしいときに過去に帰る必要も、ないのです。
許されることすら自分のなかで勝手に完結しようとしている。
そんな場所にいるから相手のことも、世界のことも見えないのです。
じぶんのことはじぶんではなく、他者にきいてください。
あなたの抱える苦しみや悲しみは
埋めなくていいし、わからなくていいのです。
そんなものに力を使うくらいなら
好きな人に声をかけて、散歩でもいってきてください。
ネット上に呟く必要もないし、黙って歩幅を合わせてみてください。
ふあん、くるしみ、かなしみに時間を費やさないでください。
自己愛に塗れた窮屈な自我の中にいるのではなく、世界に出てください。
もっときれいなものを見ること、触れること、感じることに
時間を使ってください。時間は有限です。
そしてじぶんより大切なもの、
あるいはじぶんの存在をかけてまもりたいものに、夢中になってください。
 
ことばもおんがくも、悲しむことに使いたくはないよね。
ぼくらはきっと、かなしむことにあきあきしているはずなんだ。
だれもが、あなたの過去ではなく、あなたの今を見ています。
過去のあなたではなく、今のあなたがみたいのです。
 
愛を確かに感じることが出来たとき、それらとダンスしていると言った人がいます。
僕もそれをいつかダンスと呼べるようになりたいのです。

これを読んでいるあなたも、わたしも、心から。
それが願いであり、そのために歌っていきたいと、
今思っていることを、ここに記しておきます。
 
この間違いの歴史でもある作品を反面教師にしながら、
聞いた人々が今を生きていけることを、祈っています。
 
山越裕之 ool
 
 
: hryk(Vox.) : - : - : posted by f--ca
地上にたったひとつの場所
今日は多摩川の花火があった。車で橋を通ったんだけれど、みんな花火をみているのね。そして花火みたいな顔してた。ぽわっと明るい笑った顔。見ているもので変わっていくよね、人の表情。僕も花火みて花火みたいにぽわっとした顔してたんだろうか。ところで先日人生初の点滴をしました。すごいね点滴、これからしんどい時はお世話になろうと思います。レコーディングは3日終了しました。ベーシックを録音し、歌を少し。しんどい中だったけれど、どうにかかたちになってきています。やればやるほど見えてくるのは足りないところで、進めば進む程ゴールが遠ざかって見えるような心地だけれど、腐らず前を向いています。相反するものを抱えて生きているなあと思います。今にどっこいしょと居座って、歌いたい。歌って力つきて抱きとめられるくらい叫びたい。地上にたったひとつの場所を作り出すのはとても簡単で、そこにあなたがいればいい。僕は眠いけれど、何か言葉が出てくるのを待っている。みらいは一日過ぎたら一日分近づいているはずだ。かこは一日過ぎたら一日分遠ざかっているはずだ。はずなんだ。歌っている、ひとりでレコーディングブースの中、歌っていても、そこにいない人との繋がりを感じることが出来る。そんな音楽がある。わたしとあなたの間に。わたしの中にある。何度でも生まれ変わる。あなたの中にある。何度でもノックする。歌い、何かが壊れ、生まれる。壊れるのと、生まれる、その間にも音はあって、そこでこそ何か良いもの同士がひそひそ話をしていたりするんだよなあ。相反するものの境界にあるもの。それはきっとわたしのすきなもの。そこに立ちたい。座ってもいいけど。声は限りない、のだろうか。きれいなものを口にしたい。あなたが笑っても、僕が歌っても、あそこの夫婦喧嘩も、別々のものだけれど、同じ地上で起こる。眠いから寝るけど、みんな幸せに眠れますように。残りのレコーディングもがんばろう。歌をビシっととって、バリっとミックスして、ビビっと音源にして、ぽふっと手渡したい。今日ももっと大切に出来ることあったんじゃないのかな。もう二度とこないんだ。この時間は、この瞬間は。全部一度きりを生きている。この瞬間は死んでも戻ってこない。何をしても二度とは帰ってこない時間。そう考えると全てが創造性に富み、弾力を増すような気がします。毎日毎日、生きているだけで。
: hryk(Vox.) : - : - : posted by f--ca
はじめてなみがうまれたひ
久々に見た海は凪いでいた。よく見ていた鹿島灘とは違い、海岸の曲線がゆるやかで、それでいて勾配の強い砂浜。生憎の曇天だが徐々に東から晴れてきて、次第に色がはっきり浮き立つのを眺めていた。思い思いの強さで寄せてはかえす波は、時折膝より上まで捲った裾を濡らした。写真で切り取るように、言葉に残しておきたい。不意に訪れる何気ないワンシーンを、まるっと。どうしたって分かち合えないものを、言葉によって分かち合ったり、そうしようと、する。描こうとしている日々の重なり、偶然のアンサンブル。そんな論理や理屈じゃない場所にある感情があって、言葉にならないような跡を残していく。それが自然に生まれる瞬間は、体の中を風が吹いたように、気持ち良い。くすぐったくないけど、こそばゆい。祈ることをやめて、走り出すとき、生きている音がするね。ながいまばたき、怖かったのはきっとそのせいだね。あくびみたいなさけびをしていたい。愛について僕が分かることはとても少ない。まったくないと言っても過言ではない。星がきれいなことも、たんぽぽがなぜきいろなのかも、遠くの戦争の原因も、何故色があるのかも、わからないことばかり。誰かが言う真理が溢れていても、またほかに真理が存在していて、でも、それでも、目をつむって、それを信じてみたい。ぼくにもきっとできる。あなたにも、できる。八木重吉の詩のなかにある表現を借りるならば、鞠のようにぽくぽくと言葉を転がすことができた。最後に今の気持ちにぴったりのその詩をかいておく。ぼくはいま、だんだんうれしいし、だんだんたのしい。

まりは
ぽこ ぽこ ぽこ ぽこ ぽこ ぽこ
わたしも ぽこ ぽこ
ぽこ ぽこ ぽこ ぽこ

ぽくぽくと ひとりでついていた
わたしの まりを
ひょいと
あなたになげたくなるように
ひょいと
あなたがかえしてくれるように

まりを
ぽくぽくつくきもちで
ごはんをたべたい
: hryk(Vox.) : - : - : posted by f--ca
捨てる準備を
長く書いてなかった。色々ありました。まずは7日、ライブでした。来てくださった方々、有り難う御座いました。初めての場所でなかなか慣れない場所でしたが、終わってみればとても実りの多いライブになりました。花男さん、タテタカコさん、良い意味で打ちのめされました。ちょっと立ち上がれない程に。そこには長い間使われてきて良い風合いを持つ木材のように深みを増した言葉があって、有無を言わさない安心感や、どんな情けなさも全て肯定する強さが、そこにはありました。ああこれがうただなあと、一方で自分のものはなんだと、納得と否定の気持ちが入り交じり、大分有り難い苦しさがありました。その後はまた仕事仕事、気づいたら誕生日を迎えていました。色々な人からおめでとうの言葉を頂きました。有り難う御座いました。忘れていた人は今からでも遅くないのでどうぞご連絡下さい。誕生日になる瞬間は、ちょうど曲のアレンジをしていました。その後体調は急降下するという、今までにない誕生日でした。ただとても楽しい、有意義な時間でした。どんな一年になるでしょうかね。前回の誕生日からは大分風景が様変わりしていて、変な寂寞とした感情を抱いている。寂しいとはまた違う、なんだろう、変な無常観。また感じるのは、全部の中庸を選び取ることの難しさ、強く言うなら不可能さ。真ん中を取るって一見すると良いような気がするんだけれど、自身の場合はあくまでも自分が選択することからの逃避でしかない。片方を捨てた人々が眩しい。眩しい。そうであったかもしれない未来に思い焦がれずに、いつまでも賞味期限切れの選択を持ち歩かずにいきたい。賞味期限だと食べられるかもしれないけれど、やっぱり風味は落ちたりするよね。あっちにいったりこっちにいったり、寄り道は時として素晴らしく豊かなものを得るきっかけにもなり得る。けれど、今の自分にはそれをせずにまっすぐ進むことが必要なのではないかという気がしてなりません。多数のつよさ、ひとつのつよさ。世界についても、宇宙についても、星についても、動物も、ご飯も、世界遺産についても、向こう一週間の天気も、愛についても、戦争の理由も、誰かが深くに持っているものも、あなたについても、そもそも自分についてすら、僕が分かることはとても少ない。ほぼまったくないと言っても過言ではないのかもしれない。同時に全てを知るのはとても難しいね。だから今は零しながら歩くのではなくて、しっかりひとつをぎゅっとつかんでいたい。そこから見えるものすべてにイエスといいたい。みんな少なからず自然に出来ているそんなことが、僕には出来ていません。それを実行していくことがこの一年の抱負です。尊敬している人が、一緒になる人と住む場所は心配しなくて良いんだって言っていたから、それはおのずと決まると僕も信じています。自分にも、イエスと頷きたい。捨てていいんだ。
: hryk(Vox.) : - : - : posted by f--ca
どこにでもいる
時間に対するさばかねばならぬものが多過ぎる。それからそれから、なんだっけ。そんな繰り返しなんだけれど、結局根本はポジティブなんだなと思う。どこまでいってもポジティブは、自分にとっては割と好都合だなあ。知り合いでとても暗いと自称する人がいるんだけれど、その人は全然僕にとっては暗くないんだよね。沈黙を誇っているようにすら見える。暗いこと言うんだけどさ、全然暗く聞こえないんだ、不思議。でも明るいこと言っててもじめっと聞こえる人もいるんだよねえ、暗いって言っていて本当に暗い人もいる。差は何だろう。他の誰よりもよっぽど一生懸命幸せになろうと願っているように見えた。いくらでも言えるんだよね、友達同士で誰かの悪口や、うまくいかないことを嘆くのは。僕も割と本当の願いをふざけて伝えてしまったりするタイプだから情けない限り。逃げ道を作らないとまるで手を伸ばせない。そうやって笑ってどんな感じ?変わろうとしてんの?うまくいかなくてぶち壊すの?うまく言葉に出来ないからって諦めているのは誰の責任でもない。うまくいかないなら他人を恨まず、まずお前自身を恨め。で、どうにかしようと誰の目に見ても明らかなように動けばいい。見た目と心は思った以上にリンクしているんじゃないかなと思う。暗い人でも素直な人はたくさんいる。自分にも言えることだけれど。距離感を適切に取るのが苦手な自分の周りにはやはり距離感を適切に取るのが苦手な人が多いような気がする。昔からそんな気がするんだよなあ。嫌だとは全然思わなくて、そうしないと分からないことばかりだと思う。近づいて見えることもあれば分からなくなることも、遠くなっても見えることも分からなくなることも。人は変わること、これも前よりは理解出来ているといいんだが。あとはしっくりくる、こないについて最近思うのは、曲をアレンジしててしっくりこないのをしっくりまでもっていくのに相当な労力を有するし、むしろ新たに作り上げた方が楽だったりするのと同じだなと。色々な音があって、色々な人がいて、それぞれに特色があって、この音に合うこの音みたいのは今まで生きてきて培ってきた部分も大きいと思う。それだけじゃなくてスキルとしてこの音に合う音をすぐ出せる人もいる、そうじゃない人も。うまくいかないことが多過ぎるかもしれないけれど、口にしている暇はなくて、うまくいくために動きたい。手当たり次第手をばたつかせて、ごちゃごちゃ言うんじゃなくて羨ましいものは羨ましいと、欲しいものは欲しいと、はっきり伝えたい。よし明日も頑張ろう。
: hryk(Vox.) : - : - : posted by f--ca
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